
水曜日
論文を書く。正確に言えば、書こうとしている。 書こうとしている、ということはつまり、書いていないのだ。
学会の発表原稿も書く。正確に言えば、書こうとしている。
終わらない。
終わらない、ということについて哲学カフェするのはどうだろうか。 「終わらないですよねえ」と言い合って終わりそうだ。
土曜日
久々に実家に帰ると、pcが「俺、ここのwifi覚えてますんで」とでも言うように実家のwifiを即座に拾ってくれる。すごいな君は。わたしはさっき読んだ本の内容も忘れた。
仕事をしたあと、論文を放り出して、溜まっている原稿を書く。
父親が、おとなや子供向けに哲学対話を行っているNPO法人のことを「なんだっけ、あのなんでんかんでんみたいなやつ」と言う。
「アーダコーダ」とわたしは言う。
月曜日
杉並区の小学校で哲学対話の授業の講師をする。
アイスブレイクで、小学生に「生まれ変わったら何になりたい?」と聞いたら「めかぶ」と言われる。
喫茶店で論文を何本かと、バトラーと鶴見俊輔を読む。 鶴見俊輔の明快で鋭利な文章、のどごしが良すぎて、風呂上がりの炭酸水みたいにごくごく読んでしまう。
帰りに本屋で、鶴見俊輔の本をまた買う。
水曜日
編集者さんと打ち合わせ。そのあと研究室に行って、仕事して論文書いて、書けなくて、予備校に授業をしに行く。
教え子が近況を報告しにきてくれてうれしい。同行していたお母さんに、彼の良いところを聞いて欲しくて喋りまくる。前に仲正昌樹の本を勧めたら買って少し読んでくれたとのこと。うれしい。
教え子はいつもかわいがりすぎてしまう。いわゆる溺愛だ。みんな幸福になってほしい。
木曜日
都内の高校で哲学対話の仕事。哲学カフェって知ってるひと、と聞くと、何人か手が上がるようになってきた。
帰りの電車で、iPhone SEが欲しいという煩悩が、バブが溶けるように、消えていくのを突如感じる。欲望が溶ける瞬間、というものを味わいつつ電車に揺られる。
清らかな気持ちで今さら、石井僚一とさくらももこを読む。
土曜日
Tully'sで原稿を書く。
広いけど静かな店内で、レジのおねえさんが「ジェノベーゼワン!!これで、ジェノベーゼ終了しました!!」と大声を出す。ジェノベーゼパスタが売り切れたらしい。
はい、ジェノベーゼが終了になります!!
ジェノベーゼ終了!
ジェノベーゼが終わりました!!
店員さんたちが次々と声を上げ始める。
ジェノベーゼは終わった。原稿は終わらない。
日曜日
ある論文投稿の締切日。結局うだうだしてほとんど書けていない。3時間くらいで何とか書き終える。
思えば修論も、序論を当日に書いたのだった。ツチヤさんに「ラディカルな直前主義」と命名されたのを思い出す。
火曜日
仕事や論文・原稿の合間に、寺山修司『戦後詩』を再読する。興奮しすぎて喫茶店でえづいてしまう。大学で書類を提出したあと、テンションが上がりすぎて電車に乗り込み、本屋を5店舗回る。夜になりさすがに疲れて、植え込みに座る。
木曜日
コガさんに、こうした方がいい、これを食べるな、運動した方がいい、これに気をつけろ、などと、ぐだぐだと言い連ねる。コガさんはニコニコと黙って聞いている。一通り言い終わると、コガさんが明るく「次の哲学カフェのテーマ、"めんどくさい"はどうかな?」と提案してくる。高度な煽り。
橋本治と、三島由紀夫と、ネットに落ちてる知らない人の博論を読む。
金曜日
溜まった家事と仕事を片付ける。編集者さんから連絡が入り、連載の原稿のラストを修正してくれないかと言われる。「死」を突きつけるような文章を書いてしまったのだ。色々と思惑があったのだが、やっぱり不用意だったかもしれない。
反省する。
論文をいくつか、鷲田清一の本、フーコー、短歌雑誌を読む。
日曜日
教授たちのミーティングに議事録作成係として参加する。ある先生が「しもかまた町というところに行きました!」と嬉しそうに話している。別の先生たちが「どんな字?」と聞く。先生は、空中に字を書きながら「えっ・・・しもに・・かま・・・」と説明する。それじゃわからないよ、と先生たちが言う。
水曜日
すごく上品でかわいい後輩と話す。うれしい。「おなかよわよわなんです」と彼女は言う。いつもお湯を飲んでいるそうだ。かわいい後輩と会話できることが嬉しくて嬉しくて、会話の中で「おなかゆるゆるなんだって?」と言ってしまう。ダイレクトだし失礼。
月曜日
喫茶店で仕事の打ち合わせをする。突然、年収いくらなんですか、と聞かれる。
正直に答えながら、山田航の「たぶん親の年収越せない僕たちがペットボトルを補充してゆく」という短歌が頭によぎる。
かなしくて、うつくしい。
火曜日
論文はあきらめて、原稿を書く。書けない。先生が出す本の原稿校正をする。脳が拒絶して読めない。スーパー銭湯に二時間行ってしまう。
トムヤンクンを三日連続で作る。天国のスープだ。
知らない人のブログと、論文と、フォークナーと、須賀敦子を読む。
水曜日
仕事は終わらないし論文も終わらない。学会発表準備も出来ていない。3ヶ月前に提出した予稿集を確認して、自分が学会で何を発表しようとしていたのか確認するが、全く身に覚えのないことが書いてある。
発表のためのネタ帳をひらくと「やっぱりハリーポッタリ」という言葉だけが書いてある。身に覚えがないしどうでもいい。
木曜日
朝早くから横浜の小学校で打ち合わせなので、起き上がってあくびをする。その瞬間に左首から背中にかけて、電気が走る。ぎっくり首だ。
これまで経験したことのない痛みで、直立状態から動かせない。
それでも何とか服を着て、駅へと向かう。狂言師のような歩き方だ。うつむけないので、ノールックで改札を通り、そろりそろりとホームへ向かう。不気味だろう。背に腹は代えられない。スマフォを目の高さで持ち上げて「ぎっくり首」を検索する。どうやら、軽い肉離れのようだ。なぜ離れるのだろう。ずっと傍にいてほしい。
校長先生と、体と首を一切動かさない状態で打ち合わせを済ませる。哲学マシーンだと思われただろうが仕方がない。うなずいたり、体を折り曲げて笑うことができないので、目で全てを表現した。感情は目で表現すればいいのだ。
みなとみらいで働いているイマイにLINEをし、昼休みに会おうと約束を取り付ける。昼ご飯を食べようということになったが、本当は湿布を貼って欲しいのだ。「湿布を貼ってくれんか」とLINEすると快諾してくれる。「首とか肩とか背中とかまわらない状態」と送ると「背中はもともと回らねーよ 怖いわ」と送られてくる。
論文が終わらない。